- モーツアルトの生涯、人生について徹底解説!
- モーツアルトが送ってきた激動の人生、神童としての活躍、上手くいかない就活、ウィーンでの成功、そして没落、借金地獄・・・
- モーツアルトの子供っぽい人懐っこい性格、ウ〇チ、おなら大好き、その裏に隠れる死への恐怖・・・
- モーツアルトの名曲とともに、わかりやすく、簡単にお話しています
今、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲を弾いてるんだけど、モーツアルトってどんな人だったんだろ?
この記事では、こんなお悩みを解決します
- この記事の著者
Twitter(@messi_agarisyo)
・プロ奏者を輩出する教室でヴァイオリンを学ぶ
・日本トッププロ奏者(NHK交響楽団で弾いてた先生、プロオケでトップを弾いていた先生・・・)にも指導を受けた
・超ビビり&超あがり症。バッハのシャコンヌを発表会で弾いた時、緊張しすぎて、空中分解した経験あり。
こんにちは、超絶緊張しいヴァイオリニスト・ヴィオリストのめっしーです
モーツアルトは好きですか?
ちなみに、ぼくは嫌いです、モーツアルト(笑)
何かな、あの軽い感じがねー、そして、上手く弾けない、モーツアルト・・
上手く弾けないのが、モーツアルト嫌いの一番の原因なんかな
でも、でもですよ、
ヴァイオリンとか、他の楽器でもそうですけど、クラシックやってたら逃げられません、モーツアルトから。
この記事では、少しでもモーツアルトのことを知って、好きになってもらうのが目的。
そして、モーツアルトの生涯、人柄とか性格を知ってもらって演奏に生かして欲しいと思ってます
モーツアルトの名曲とともに、生涯、人生とか、高すぎるぐらい高いプライドを持ったモーツアルトの人柄とかお話していこうと思う。
演奏に役に立つので、ぜひ最後まで読んでみてねー
2万字ぐらいの大作になっています。ブックマーク、お気に入りにしていただくか、読みたいところをクリックしてくださいねー
10才より前のモーツアルト【神童、アマデウス・モーツアルト】
10才より前のモーツアルトを見ていこう
The神童の時代、チヤホヤされた時代やね
天才、生まれる。モーツアルトの生まれた街、ザルツブルグについて。
1756年1月27日、オーストリアのザルツブルグで、モーツアルトが生まれる
本名、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト。
ザルツブルグは、オーストリアの都、オーストリアからずーっと西に行ったところにある
ザルツブルグは、ザルツ(塩)、ブルグ(城)っていう意味で、昔から岩塩でにぎわった街
少しだけ、モーツアルトの生まれたザルツブルグの空気を感じてみよう
とってもキレイな街、モーツアルトはこんなにも美しい街で生まれ育ったんだね
ザルツブルグ、良い街だよねー行ってみたい
でも、モーツアルトはザルツブルグのことが嫌いで、こんなクソ田舎から早く出ていきたいって思ってたらしい・・・もう少し先の話だけど・・・
モーツアルトのお父さん、お母さん、そしてお姉ちゃん
モーツアルト家は、モーツアルトのお父さん、お母さん、お姉ちゃんっていう家族構成。
モーツアルトのお父さんは宮廷のヴァイオリニスト。
そして、ヴァイオリン教師としても有名な人。
ヴァイオリンの教則本なんかも書いてて、そんな人のモーツアルトは育っていく。
この本↓がモーツアルトのお父さんが書いた、ヴァイオリンの教則本の日本語訳されたもの
今でも読まれるぐらいの、けっこうすごい本
あと、モーツアルトのお父さんは心配性かな、モーツアルトのことが心配で心配で、死ぬまでモーツアルトにちょっかいを出し続ける、子供からしたらめんどくさい人だったかもしんない
モーツアルトのお母さんはどんな人だったの?
モーツアルトのお母さんは、楽天的で冗談が好き
モーツアルトってけっこう楽天的で、楽天的すぎて借金までしちゃうくらいなんだけど、そんな性格はお母さんゆずりかもしんない
心配症で口をだす、徹底的にモーツアルトを管理しようとしたお父さんと、楽天的なお母さんの元でモーツアルトは育っていく
あと、モーツアルトにはお姉ちゃんがいる
5才年上のお姉ちゃん、二人兄弟
いや、ホントは7人兄弟のはずだった
残りの5人は生まれてすぐに、亡くなってしまった
当時は生まれてすぐに亡くなってしまうは、そんなに珍しいことではなかったんだけど、毎年のように子供を失う悲しみは、半端じゃなかったと思う
当時は医療が発達していなかったり、水が汚ないとかで病気が広がったり・・・多くの子供が命を落とした
残されたモーツアルト、そしてお姉ちゃんは、両親の愛情をたっぷり受けて育つ
4才でレッスン、5才で作曲。バケモノか。
モーツアルトの天才伝説はいっぱいあるんだけど、天才エピソードは3才ぐらいからはじまる。
モーツアルト3才のとき、モーツアルトはクラヴィア(ピアノの先祖)を触りはじめる
モーツアルトの姉ちゃんは、お父さんからクラヴィアのレッスンを受けてて、その後ろでクラヴィアの音を聴いて育ったモーツアルト
クラヴィアが弾きたくて、弾きたくて溜まらなかった
ピアノの先祖の楽器、クラヴィアの音をちょっとだけ聴いてみよう
3才のモーツアルトはレッスンを受けたわけじゃないのに、和音を弾きまくる
弾き始めたら、ずっーとやめようとしない
めっちゃ楽しっ
モーツアルトのお父さんは、モーツアルトが楽しそうにクラヴィアとじゃれ合う様子を見て、クラヴィアのレッスンを始める
モーツアルトはアホみたいな速さで、クラヴィアが上手くなっていく。
そして、一番びっくりすることは、5才ではじめて作曲したってこと。
レオポルド(モーツアルトのお父さん)にとってなにより驚きだったのは、ようやく5歳になったばかりの息子が、クラヴィアを弾きながら早くも自分で曲を作り始めたことだった。
モーツアルト 田辺秀樹著
モーツアルトの天才的な成長速度は、モーツアルトの生まれた街、ザルツブルグに広まる
モーツアルトのお父さんは、息子の天才的な成長速度を見て、こう考える
『息子は超天才だ。神様が与えてくださった才能だ。こんなクソ田舎だけじゃなくて、もっと多くの人に息子の演奏を聴いてもらいたい。』
モーツアルトのお父さんは、神から与えられたモーツアルトの才能を世界に広めるべく、演奏旅行に行くことを決める
モーツアルト、はじめての演奏旅行へ
モーツアルトの神がかり的な才能に感動したお父さん
モーツアルト、そしてモーツアルトの姉を引き連れて演奏旅行へ行くことに決める
モーツアルト6才、モーツアルトの姉11才
はじめての演奏旅行はミュンヘン
モーツアルトが生活してた、ザルツブルグから西、ドイツの街
モーツアルトが初めて演奏旅行にいった、ミュンヘンの空気を少しだけ感じてみよう
ザルツブルグから150km離れたミュンヘンには、馬車を使って移動
快適な旅?
いや、全然そんなことない
当時の道路はコンクリートで舗装されてなくて、もうガタガタ揺れる、お尻が痛い
そして、狭い、快適な旅とは残念ながら言えない
あと、馬車ってめっちゃ遅い。
時速15kmぐらい、今なら自転車に方が速いんじゃねっていうレベル(クロスバイクとかだと時速15~20kmぐらい)
狭っ苦しくて、お尻が痛くて、遅いし、、そんな馬車に揺られて、モーツアルトたちはミュンヘンへ向かう
ミュンヘンについたモーツアルト、姉ちゃん、お父さん
たくさんの貴族たちの前で、モーツアルト、そしてモーツアルトの姉ちゃんが演奏する
当時の音楽は貴族がたしなむモノ。一般の人が音楽に触れられるのはもう少しあとのこと
鳴りやまない拍手、歓声
モーツアルト兄弟のはじめての演奏旅行は大成功に終わる
音楽の都、ウィーンへ
ミュンヘンでの演奏旅行が大成功に終わって、モーツアルトのお父さんは次の演奏旅行の目的地を決める
『ウィーンにしよう、ウィーンは音楽の都。息子にとってもいい刺激になる』
こうして、モーツアルト達は音楽の都、ウィーンへ旅立つ
モーツアルト6才
お母さんも一緒だ、わ~い
モーツアルトの家があるザルツブルグ出て、馬車と船に揺られて2週間後、モーツアルト一家は音楽の都ウィーンへ足を踏み入れる
音楽の都、ウィーンをのぞいてみよう
モーツアルト達はウィーンで、中央ヨーロッパを支配していた女王、マリアテレジアの前で演奏することになる
場所はウィーンにある、女王マリア・テレジアの別荘であるシェーンベルン宮殿
シェーンブルグ宮殿はこんな↓とこ
モーツアルト達はシェーンブル宮殿に入る
長い、それは長い廊下をずっと進んでいく
天井には豪華なシャンデリア、洗練されたデザイン
モーツアルト達は立派な扉の前にたどり着く
扉が開くと、女王マリア・テレジアが座っていた
モーツアルト兄弟は女王マリア・テレジアの前で演奏を披露する
女王マリア・テレジアはモーツアルト兄弟の演奏を聴いて大いに喜んだ
ぼくと結婚してあげる
女王マリア・テレジアのシェーンベル宮殿で、面白い話がいくつか残っている
モーツアルトが演奏が終わる
感動したマリア・テレジアはモーツアルトに、こちらにいらっしゃいと呼びかける
女王マリア・テレジアに向かうモーツアルト
ここで事件、モーツアルトはすってんころりんと、ぶっコケる
痛てて・・・
コケたモーツアルトに手を差し伸べた人がいる
女王マリア・テレジアの娘である、マリー・アントワネットという人
マリー・アントワネットは当時7才で、モーツアルトとほとんど同い年(モーツアルトは6才)
マリー・アントワネットの手を掴み、モーツアルトはこう言ったらしい
『大きくなったら、ぼくのお嫁さんにしてあげる』
宮殿の床ですべって転んだ時、助け起こしてくれた一つ年上の皇女マリー・アントワネットに、少年モーツアルトがすぐその場で将来の結婚を約束したというのは、この時の有名なエピソード
モーツアルト 田辺秀樹著
キョトンとするマリー・アントワネット。
まあ、モーツアルトのマリー・アントワネットへのプロポーズは、結局叶わなかったんだけれども。
女王マリア・テレジアへのキス
シェーンベルグ宮殿での話をもう一つ。
モーツアルトの演奏に感動した、ウィーンの女王、マリア・テレジアはこう言う
『こっちに来て、キスしてちょうだい』
モーツアルトはひょいひょいっと、女王マリア・テレジアに向かい、膝の上にぴょんと乗る
そして、女王マリア・テレジアに感謝のキス
それに答えるように、モーツアルトにキスの雨を降らせる女王、マリア・テレジア
モーツアルトの人懐っこさがうかがえる
モーツアルトは病気とともに。
モーツアルトと切っても切れないのが病気。
モーツアルトは体が丈夫じゃなかった。
シェーンベルグ宮殿での演奏が終わって、数日後、
モーツアルトは病に倒れる、高熱。
結節性紅斑という病気。
結節性紅斑は発熱、だるさ、そして足に赤いまだらのできる病気。
モーツアルトの病気はなんとか治るんだけど、ここで終わりじゃなくて、死ぬまでモーツアルトは病気で苦しむことになる
幼・少年期(六歳から十六歳まで)の旅でモーツアルトのが羅漢した大病は天然痘、リューマチ熱、腸チフス、A型肝炎であった。とにかく旅先での出来事である。当時の医学水準を想定すれば、生き延びただけでも奇蹟というに近い。
モーツアルト 天才の秘密 中野雄 著
ときには命を落とすスレスレまで病状が悪くなることもあった
モーツアルトって、音楽を聞くと、元気というか、明るいイメージあるけど、何度も生死を行き来してたというか、そういうのを知ってモーツアルトを聴くと、また違った風に聞こえるかもしんない。
3年半のヨーロッパ大旅行
モーツアルトの病気が治り、モーツアルト一家は故郷のザルツブルグに戻る
ただ、住み慣れたザルツブルグで、ゆっくり出来たのは一瞬。
モーツアルト達は、また演奏旅行に出かける。
ヨーロッパ中を、3年半にも渡って演奏旅行する
モーツアルト7才~10才の話。
パリへ
モーツアルト一家は乗り心地の悪い馬車に揺られて、ミュンヘン、アウグスブルク、フランクフルト、コンレンツ、ケルン、アーヘン、ブリュッセル、そしてパリに到着する
パリの空気をちょっとだけ吸ってみよう
パリではベルサイユ宮殿で、フランス国王の前でモーツアルト兄弟は演奏する
ベルサイユ宮殿ってこんなとこ↓
モーツアルトも演奏を聴いたフランス国王、大絶賛
『モーツアルト、超すげーじゃん』
フランス国王に大絶賛されたモーツアルト兄弟、パリで有名になる
いろんな貴族から引っ張りだこ、超忙しい日が続く。
ロンドンへ渡る
フランスで大成功を収めたモーツアルト兄弟、今度は海を渡りロンドンへ向かう。
ロンドンへ行くには船で海を渡るしかない
船と言えば船酔い、
モーツアルト一家はゲロゲロしながら、海を越える
ロンドンってこんな↓ところ
ロンドンでモーツアルト兄弟はロンドンの王様に会う、演奏
ロンドンの王様もモーツアルト兄弟の演奏に感動
モーツアルト兄弟の噂がロンドン中に広まっていく
ロンドンでは、公開演奏会っていうコンサートが開かれてて、その公開演奏会も大成功を収める
公開演奏会って何?
公開演奏会?何それ?
公開演奏会っていうのは、お金を払えば誰でも聞けるコンサートのこと。
お金を払えば誰でも聞けるコンサートって、当時としては最先端のコンサート
当時のコンサートって、王様とか、貴族とか特別な人のためのもの、一般市民は聞けないコンサートが多かった
ロンドンでは一般市民も聞ける、今、現代みたいなコンサートが開かれていた
なんで他のヨーロッパの国々じゃなくて、ロンドンで一般市民も聞けるコンサートが開かれてたの?
なんでロンドンで一般市民も聞けるコンサートが開かれてたかっていうと、市民が力を持ち始めたから
当時のロンドンでは産業革命っていうのが起こった
まあ、産業とか、工業とかが、めちゃんこ発展したわけ
産業とか、工業が発展すると何が生まれるかっていうと、金、お金が生まれる
で、産業とか工業って誰がやってたかっていうと、市民なんだよね、王様とかじゃなくて
だから市民がお金持ちになっていく、豊かになっていく。
余裕が出てきたお金で音楽を聞きに行こうっていう流れがでて、公開演奏会、一般人でも聞けるコンサートが開かれていくっていうワケ
バッハの息子との出会い
モーツアルトにとって、ロンドンでの一番の収穫は、バッハの息子と出会えたこと。
バッハの息子はモーツアルトにたくさんのことを教え、語りあった
ロンドンでモーツアルトは初めて交響曲の作曲をしたんだけど、
交響曲の作曲で一番影響を受けたのは、ロンドンで出会ったバッハの息子さん、間違いなく
モールアルトはバッハの息子が作曲した交響曲を聴き、オペラを聴き、一緒に音楽を奏で合った
バッハの息子は、モーツアルトより20才くらい年上なんだけど、モーツアルトと対等に音楽について語り合った
モーツアルトは、ロンドンで音楽を教えてくれたバッハの息子のことを、死ぬまで尊敬していた
宮廷副楽長のフォーグラーがモーツアルトの前でクリスティアン・バッハ(バッハの息子)の悪口を言った際には、父親宛の手紙の中で怒りをあらわにし、1782年にバッハが死去したときには、その死をおおいに悲しみ、「音楽界にとって大きな損失」であると記したのだった。
作曲家人と作品シリーズ 西川尚生著
バッハ息子先生の悪口を言うやつは許さん
ほんとに9才なの?ほんとにモーツアルトが作曲してるの?嘘じゃね?
ロンドンでのモーツアルトの評判は、うなぎのぼり
評判が良くなってくると、足を引っ張りたくなる人間がでてくる
『9才って言ってるけど、ほんとに9才なん?年齢、誤魔化してるんじゃね?』
『モーツアルトが作曲してるって言ってるけど、モーツアルトじゃなくて、モーツアルトの親父が作曲してんじゃね?』
こんな噂がでてくる
で、モーツアルトがホントに9才かを確かめる調査がされることに。
ロンドンの学者がモーツアルトに直接会ってテスト、
初見、即興、作曲、いろんな方向から、モーツアルトのことをテストした。
学者がモーツアルトにオペラの楽譜を渡していう
『とりま、このオペラをグラヴィア(ピアノの先祖の楽器)で弾きながら歌ってみ?』
いいよー
モーツアルトの演奏、テンポ感、表情、すべてが完璧
ロンドンの学者は茫然とする
ロンドンの学者はモーツアルトにこんな問題も出す
『即興で恋の歌、作ってみ?』
いいよー
とても美しい恋の歌、今、この瞬間に作られたものとは思えない
こんな完璧な音楽が作れるのに、見え隠れする9才の顔。
ステッキを馬に見立てて、ヒヒーンって言ったり、もう子供に間違いないよね、、ロンドンの学者はそう確信する
ロンドンの学者は、モーツアルトはホントに9才で、天才的な音楽の才能もホンモノだという報告書を書いている
「この少年は大人の優秀な音楽家にひけをとらない才能の持ち主だが、正真正めいの九歳児にまちがいない」
音楽家の伝記 はじめに読む1冊 モーツアルト 萩谷由喜子著
やっとこさ、故郷ザルツブルグへ
モーツアルト立はロンドンから出発し、家のあるザルツブルグに戻ろうとするんだけど、
スムーズに旅は進まなかった
足止めを食らった理由の一番の理由が病気
モーツアルト、モーツアルトのお父さん、お姉ちゃんが病気が次々に病気にかかる
特に、モーツアルトのお姉ちゃんはもう、死ぬ寸前までいくぐらい
娘が日に日に衰弱していくのを見ていました。まるでもう骨と皮ばかりでした。
音楽家の伝記 はじめに読む 1冊 モーツアルト 萩谷由喜子著
でも、なんとか命を落とさずにすんだ
病気が治るまで待って、移動、病気が治るまで待って、移動
そんな感じで、故郷ザルツブルグに戻ってくる
ヨーロッパの大旅行は3年半にも及び、モーツアルトは10才になっていた
10代のモーツアルト【音楽家として50レベルぐらい、レベルアップ】
10代のモーツアルトを見ていこう
音楽家としてレベルアップした時期。音楽の先進国、イタリアでの勉強、オペラ作家としての成功・・・
王女様の結婚パーティーへ
やっとこさ、モーツアルトたちは故郷ザルツブルグに戻ってきた
ゆっくり生活できるのかと思いきや、
すぐにウィーンに演奏旅行に向かう、モーツアルト11才
理由は、ウィーンのシェーンベルグ宮殿で演奏したときに会った、女王マリア・テレジアの娘の結婚パーティーがウィーンで開かれるから、
ウィーンのシェーンベルグ宮殿では、モーツアルトが『結婚してあげる』って言ったり、女王マリア・テレジアにキスしまくったりしてたね
結婚パーティーの演奏のためにウィーンに向かうことになる
ウィーンについたモーツアルトは、こう感じる
なんかおかしい・・・
お祝いムードのはずなのに、空気が重い、なんでだ?
実は、モーツアルトがウィーンに行ったとき、天然痘っていう病気が流行っていた
天然痘は全身にブツブツ(水ほう)ができて、高熱が続く伝染病のこと。死亡率が高くて、当時、それはもう恐れられていた病気
実は天然痘っていう病気で、今回結婚するはずだった女王マリア・テレジアの娘、王女様がなくなっていた
だから、お祝いムードなんてなるわけなくて、さらに天然痘っていう病気が流行って、ウィーン市民は自分の命を守ろうと必死だったんだんだな
そして、天然痘っていう病気がモーツアルトに襲い掛かる
モーツアルトの体中にブツブツができて、高熱。
モーツアルトは死をさまよって、なんとか助かった
オペラの作曲、そして妨害
モーツアルト12才のとき、ウィーンではじめてオペラを書く
女王マリア・テレジアの長男の依頼
オペラ、ずっと書きたかったんだよね
モーツアルトの音楽センスが詰め込まれたオペラが出来上がる
でも、モーツアルトのオペラがウィーンで上演されることはなかった
理由は妨害行為
ウィーンの一部の人はこう思う
『おもしろくねえ、田舎(ザルツブルグ)からきて生意気してんじゃねーよ』
オペラって、当時の花形だったわけ、スポットライト浴びまくり
そんな花形を取られたウィーンの音楽家、面白くない、むかつく
見た目は12才の子供、あんなガキにオペラが書けるわけない
そんなことをウィーンの音楽家の一部が思った
そして、モーツアルトのオペラを妨害
いろいろケチつけたりした
何度も上演延期になった
ウィーンでモーツアルトが初めて作曲したオペラが上演されることはなかった
なんで?なんで僕のオペラは上演されないの?
12才の純粋のモーツアルトには、人間の妬み、嫉妬が理解できなかったのかもしれない
いざ、音楽の都、イタリアへ
モーツアルト13才、はじめてイタリアへ行く
当時のイタリアって、音楽の最先端の街
イタリア音楽はヨーロッパ中に広がってて、
宮廷とか、いろんなところでイタリア人がブイブイ言わせていた時代。
『モーツアルトを音楽の本場、イタリアへ連れていきたい』
そんな、モーツアルトのお父さんの親心から、モーツアルトはイタリアへ向かう
イタリアの空気を味わってみよう
イタリアのヴェローナ↓
イタリアのヴェローナはロミオとジュリエットの舞台。どうしてあなたはロミオなのー?ってやつ
イタリア・ミラノ↓
フィレンツェ↓
イタリアってほんと美しい街。モーツアルトもこんな美しい景色に感激したんだろうな、子供みたいにキャピキャピって
参考に、イタリアの地図、乗せておくね
モーツアルトはイタリアの街で、本場のオペラをみたり、とっても影響を受けた
イタリア、超すげえ
一回聞いただけで、すべてがわかる
イタリアで、こんな逸話が残っている
一回聞いただけで、『ミゼレーレ』っていう複雑な曲を覚えて、楽譜におこす
『ミゼレーレ』を聴いてみよう
『ミゼレーレ』っていうのは教会音楽で、システィナ礼拝堂っていうとこ以外での演奏が禁止されていた
システィナ礼拝堂ってこんなとこ↓
『ミゼレーレ』の楽譜は持ち出しもコピーも禁止、システィナ礼拝堂でしか聞けない音楽だった
楽譜の持ち出しもコピーもダメって聴いて、モーツアルトはこんなことを言う
聴いて覚えて、あとで楽譜に書いたらいいやん?
大爆笑の父親
『そんなこと、できるわけないだろ(笑)』
でも、モーツアルトはやってのける
一回しか聞いたことがない、『ミゼレーレ』をすべて楽譜に書き起こす
一音の狂いもなく
天才っていうか、バケモンだ・・・
音楽の本場、イタリアでのオペラ初演
モーツアルト14才、念願のオペラをミラノで初演する
《ポントの王ミトリダーテ》っていうオペラっていうオペラ
オペラ《ポンテの王リトリダーテ》を聴いてみよう
ウィーンでオペラの依頼を受けたとき、妨害されたの、覚えているだろうか?(覚えてないときはこちらをクリック)
まあ、ミラノでもオペラの上演を妨害されるわけ
『イタリア人じゃない人間が、生意気な』って感じだったんだと思うんよ
主役の人がなかなかモーツアルトに会えなかったり(実際に合わない歌が書けないらしい、声質とかみないといけないから)
めちゃくちゃ細かい指示を受けて、何度も、何度も書き直しをしたり
まあ、嫌がらせをされた
どうも、オペラの世界は足の引っ張り合いとか、嫉みとか、ドロドロしてたみたいやね、今知らんけど
でも、モーツアルトは嫌がらせに負けなかった
今度は負けない
オペラ《ポントの王ミトリダーテ》を完成させる
そして初演。
鳴りやまない拍手
イタリアでのオペラ依頼、2曲目、3曲目
ミラノで初演された《ポントの王ミトリダーテ》の大成功のおかげで、
新しいオペラの作曲を依頼される
モーツアルト、15才の頃の話
《アルバのアスカーニョ》と《ルーチョ・シッラ》って言う曲
《アルバのアスカーニョ》と《ルーチョ・シッラ》を聴いてみよう
《アルバのアスカーニョ》↓
《ルーチョ・シッラ》↓
イタリアでオペラを3曲も作曲して、立派なオペラ作曲家になったモーツアルト
もちろん、オペラのレベルも上がったんだけど、
オペラだけじゃなくて、弦楽アンサンブルみたいな室内楽の曲のレベルも上がったりしてる、イタリアの軽快な音楽に影響されて
例えば、有名なディベルティメントk.136っていう曲
ディベルティメントっていうのは、貴族の食卓とか、晩餐会とかのバックミュージックのために作られた曲
ディベルティメントk.136はモーツアルト16才の作品なんだけど、イタリアの影響をめっちゃ受けてる
イタリアでモーツアルトは大きく成長した
こんな田舎で収まる人間じゃなのに、、と、ヴァイオリン協奏曲の作曲
イタリアで成長したモーツアルト
故郷ザルツブルグに戻る
ここから20才ぐらいまでは、故郷ザルツブルグを中心に活動する
ウィーンとか、オペラの作曲を依頼されて、ドイツのミュンヘンに行ったりするんだけど、
故郷ザルツブルグからたまに行ったり来たりするぐらいだった時期。
モーツアルト、悔しい時期だったんじゃないかなと思う
音楽の本場、イタリアでオペラを書いて、認められて。
こんなクソ田舎(故郷ザルツブルグ)、早く出ていきてぇ
こんな風に思ってたんじゃないだろうか
でも、この時期にヴァイオリン弾きなら誰もが演奏される、あの曲が作曲される
モーツアルトのヴァイオリン協奏曲、3番、4番、5番
モーツアルト、19才の作品
モーツアルトのヴァイオリン協奏曲ってどんな曲だっけ?
モーツアルトのヴァイオリン協奏曲を聴いてみよう
ヴァイオリン協奏曲3番↓
ヴァイオリン協奏曲4番↓
ヴァイオリン協奏曲5番↓
どの曲も、イタリアでレベルアップした、モーツアルトの音楽への愛情を感じる
20代のモーツアルト【就職活動・フリーランス・結婚・ウィーンでの大フィーバー】
20代のモーツアルトを見ていこう
上手くいかない就活、上司との大喧嘩、フリーランスとして独立、結婚、そして音楽の都ウィーンで大フィーバーを起こす
モーツアルト、就活へ
モーツアルト21才、モーツアルトはまた旅に出る
目的は就職活動、就活
今回の旅はお父さんじゃなくて、お母さんと二人旅
モーツアルトの演奏旅行の旅に、モーツアルトのお父さんは休みをもらってたんだけど、
最近、モーツアルトのお父さんの上司が変わって、休みにくくなった。
『子供の就活のために休む?んなダメに決まってんだろ』って上司から言われた
で、お父さんの代わりに、お母さんが付き添いで旅をすることに
一人旅でも良かったんじゃない?
モーツアルトの一人旅を心配したのが、モーツアルトのお父さん
まあ、音楽しかしてこなかったモーツアルト、社会ってモノを知らない
ちゃんと就活しないで、ブラブラ遊びほうけられては困るって思った
で、お母さんがついてくることに。
全然上手くいかない就活
モーツアルトの就活はまったく上手くいかない
モーツアルトが就活の旅に出るとき、モーツアルトはウキウキ
クソ田舎(ザルツブルグ)を離れられるから
あんな狭っ苦しいクソ田舎から出られてうれしー(^^♪
モーツアルトの就活はドイツのミュンヘンから始まる
ミュンヘンでの就職を狙って、超偉い貴族と合うんだけど、
ここには席がないって言われる
なんでイタリアでオペラ書いたり、ヨーロッパで認められえてるモーツアルトが就職できないの?なんとか席つくるんじゃない?
なんでかっていうと、理由はいくつかあって、
モーツアルトが就職を狙ったミュンヘンの超偉い貴族は、イタリア人の音楽家が好きだった
当時はイタリアが音楽の先進国、ブランド的にもイタリアの音楽家が良かったのかもしれない
あと、モーツアルトが若すぎたっていうのもあるみたいね
ミュンヘンでモーツアルトが応募した役職って、楽長とか宮廷楽団の偉いポジションで、21才のモーツアルトに任せるには、まだまだ若いって見られたみたい
しょぼん・・・(´・ω・`)
お父さんの生まれ故郷、アウグスブルグに立ち寄る、そして従妹もベーズレちゃん
ミュンヘンでの就活が上手くいかなかったモーツアルト
ミュンヘンの隣町、アウグスブルグに立ち寄る
アウグスブルグはお父さんの生まれ故郷の街
アウグスブルグの空気を感じてみよう
アウグスブルグでは、モーツアルトの変態な一面がみえる
アウグスブルグで、2才年下の従妹と仲良くなる
モーツアルトは『ベーズレ(従妹)ちゃん』と親しく話しかける
それだけじゃない、『おなら』とか『ウンチ』とかを連発して、二人で笑いこける
おならー、ウンチー、ヒヒヒヒー
モーツアルトから、ベーズレちゃんへの手紙に、こんなものも残っている
「ぼくのお尻のアナをお尻のアナた、どうかそこに息を吹き込んでください」
モーツアルト 田辺秀樹著
これって、本当にモーツアルトが書いた手紙なん?天才音楽家、モーツアルトは思えない
モーツアルトのもう一つの顔が見える、まだまだ子供。
そんな様子を心配したお父さんからの手紙
『その子(ベーズレちゃん)は男友達が多いから遊び人だ、やめておいたほうが良い』
モーツアルトがちゃんと就活をしているか、気がかりでならなかった。
モーツアルトの恋と、お父ちゃんの説教
アウグスブルグを出発したモーツアルトとお母さん
次はドイツのマンハイムに向かう
マンハイムの街を歩いてみよう
マンハイムで、モーツアルトは生まれ始めて恋に落ちる、22才の出来事
恋に落ちたのは、マンハイムの歌手であった
あまりにも美しい歌声。
モーツアルトは好きな人のことで頭がいっぱいになる
きみは星のように美しい。。。
モーツアルトの頭から”就活”っていう文字が薄れてくる
そして、モーツアルトは就活をやめて、イタリアにいって、好きな人を活躍させたいと母に言う
モーツアルトは、マンハイムの好きな人と結婚したかったわけ
それしか頭になかった
就活をドロップアウトしそうだ、、、そんな話を聞きつけてもモーツアルトのお父さんから手紙が届く
『バカ言ってんじゃねえ。ちゃんと就活せんか。ここでそんな女の世話なんてしてたら、平凡な音楽家になってしまう』
しぶしぶモーツアルトはマンハイムを出発する
パリへ、そして母の死
モーツアルトとお母さんはパリに入る
このとき、モーツアルトはどんな生活を送っていたのか
一言でいうと極貧生活。
就活が上手くいかず、ホテル代だけが財布から出ていく
そして、ただでさえ金がないのにパリの物価が超高い
パンを買うのですら、悩むぐらいだった
そんな生活の中、モーツアルトのお母さんが体調を崩す
食事もしっかりとれず、フランス語も話せず、部屋で孤独に暮らすお母さん
ストレスはもう限界だった、体はもうボロボロだった
はじめは頭痛、耳鳴り
症状はどんどん重くなっていく
高熱、頭痛、歯の痛み、のどの痛み、耳の痛み
衰弱、ボロボロ
死はもう目の前だった
最後の力を振り絞って、モーツアルトのお父さんと娘に手紙を書く
「さようなら、お二人ともお元気で。あなたがたに何万回もキスします。わたしはあなたの誠実な妻です。もう終わりにいたします。腕と目が痛むので・・・」
音楽家の伝記 はじめに読む1冊 モーツアルト 萩谷由紀喜子 著
モーツアルトのお母さんはこの世を去る、57才
モーツアルト22才のときだった。
母の死の悲しみでいっぱいだったモーツアルトが作曲した曲、イ短調のピアノ・ソナタ(k.310)を聴いてみよう
どうしようもない気持ちが伝わってくる
失恋。
母の死、上手くいかない就活
モーツアルトにとって嫌なことが続く
失恋。
パリを一人出発して、恋心を抱いていた歌手のいるマンハイムへ
モーツアルトはマンハイムっていう街で、歌い手さんに猛烈に恋をしてたんだっけね、忘れたってときはこちらを見てね
結婚しよう
モーツアルトはマンハイムの歌手に愛の告白をする
でも、その恋は実らなかった
就職先もろくにない、モーツアルトとの結婚は考えられなかった
モーツアルト、はじめての恋は終わる
『早くザルツブルに戻ってこい』
父からの催促に、モーツアルトは故郷ザルツブルグにマンハイムを出発する
故郷ザルツブルグに戻る、上司との大げんか
母の死、失恋、ボロボロのモーツアルトは故郷ザルツブルグに戻る、モーツアルト23才
ザルツブルグでは、お父さんの言われるがまま、お父さんと同じ上司の下で働く
オルガン奏者として働く
なんで、こんな音楽がわからないクソ田舎(ザルツブルグ)にいないといけなんだ
モーツアルトは不満だった
小さい頃は神童としてヨーロッパを巡り、王様、女王様にかわいがられ、音楽の先進国でオペラを作曲し、才能あふれる自分が、なんでこんな小さな町でくらさないといけないのか
音楽のおの字もわからない田舎モノ(ザルツブルグの人)に演奏しないといけないのか
「ザルツブルグでは椅子やテーブルに聴かせているようなものです」
モーツアルト 田辺秀樹 著
さらに問題が起きる
モーツアルト、上司と相性が悪い
もうバッチバチですよ、火花が飛ぶわけ
ザルツブルグの上司は音楽がそこまで好きじゃないし、
上司にとってモーツアルトはただの部下の一人
モーツアルトが勝手に演奏活動をすると、止めにかかったり、モーツアルトにとってザルツブルグの上司は邪魔でしかなかった
モーツアルトは我慢の限界になって、上司にブチ切れる
もうお前みたいなアホの下で働きたくなんかねーよ
モーツアルトはザルツブルグを後にする。モーツアルト25才の話
フリーランスでの生活、ウィーンでの人気者
ザルツブルグを立ったモーツアルト、ウィーンへ向かった
ウィーンではフリーランスとして活躍する
フリーランスって今でいうと普通なんだけど、当時としてはゼロに近かった
モーツアルトの生きた時代って、音楽家の地位が低くて、どっかに就職しないと生活できない時代
音楽家がフリーで生きていくなんて、誰も考えなかった時代
そんな時代にモーツアルトはフリーとして、ウィーンで独立する
ぼくレベルの才能があれば、フリーでもやっていける、フリーでもやっていける、大丈夫
フリーになったモーツアルトに大きな仕事が舞い込む
オペラの作曲
モーツアルトは嬉しさのあまり飛び跳ねる
ウィーンでの始めてのオペラは、《後宮からの誘拐》という曲
『後宮からの誘拐』を少しだけ聴いてみよう
オペラ《後宮からの誘拐》は大ヒット
同じシーズンで15回も上演されただけでなく、プラハ、ワルシャワ、ボン・・・ヨーロッパ各地でも上演、どの街でも大ヒットを飛ばした
結婚と幸せ
ウィーンのオペラで大成功を収めたモーツアルト
幸せは続く。
結婚
モーツアルトは26才で結婚する
相手はマンハイムで恋に落ちた歌手の妹
兄弟だから、モーツアルトが恋に落ちたマンハイムの歌手と似てたんかもね(笑)
モーツアルトの結婚なんだけど、モーツアルトのお父さんはずっと反対し続ける
モーツアルトのお父さんは、モーツアルトの結婚相手の家族が好きではなかった、どうも評判が良くないらしい
モーツアルトのお父さんは心配した
音楽しか知らない息子がおだてられ、そそのかされて結婚しようとしてるんじゃないだろうか
不幸な人生にはならないだろうか
モーツアルトは、モーツアルトのお父さんの心配をよそに、結婚式を挙げる
もちろん、お父さんの出席はなし
モーツアルトは結婚して幸せだった。でも、どこか心の片隅にしこりが残っていた
モーツアルトの子供
モーツアルトとモーツアルトの妻の間にはじめての子供が生まれる
モーツアルト27才のときの話
でも、生まれてすぐに亡くなってしまう
衛星状態は超悪いし、医療は発達してないし、生まれてすぐ亡くなるのは残念ながら当時は普通のこと
5人の子供が生まれたが、無事に育ったのは2人だけだった
モーツアルト、絶好調
モーツアルトは絶好調だった
もちろん息子の死と向き合わなくちゃいけないこともあったんだけど、
音楽家としては絶頂
演奏会には毎日のように出演して、ウィーンンでは超売れっ子
モーツアルトが主催するコンサートにも貴族、金持ちが、わんさか集まる
モーツアルトはお父さんをウィーンに呼ぶ
ウィーンで成功してる、ぼくをお父さんに見てもらいたい。音楽家として独り立ちしてるぼくを見て、お父さんに安心して欲しい
ザルツブルグからお父さんはがモーツアルトのウィーンの家に来る
お父さんはウィーンのモーツアルトの家を見て目ん玉が飛び出る、驚く
もう豪邸
家賃はいくらなん?っていうレベル
『息子よ、こんな豪邸に住む必要はあるのか?』
モーツアルトはサラリと答える
貴族を家に呼ぶには、これぐらいじゃないと
モーツアルトのお父さんは心配だった。こんな豪邸にすんで生活は大丈夫なんだろうか?
でも、モーツアルトのお父さんの心配は、モーツアルトの演奏会に行って消えてなくなる
人、人、人、、
モーツアルトの演奏会には多くの貴族
息子の演奏、そして拍手喝采。
モーツアルトのお父さんが聴いた、モーツアルト作曲のピアノ協奏曲20番↓
これなら大丈夫だろう、モーツアルトのお父さんは思う。
あと、モーツアルトが交響曲の父と呼ばれる大作曲家、ハイドンにも高く評価されたことが、モーツアルトのお父さんにとって、とっても嬉しいことだった
モーツアルトの弦楽四重奏を聴いたハイドンは、モーツアルトの手をがっつり握って
あなたの息子さんは、私の知る限りもっとも偉大な作曲家です
と言った
モーツアルトのお父さんは感激
安心してモーツアルトのお父さんはザルツブルに戻る
モーツアルトがハイドンのために作曲した弦楽四重奏を聴いてみよう
30代のモーツアルト【借金と死】
30代のモーツアルトを見ていこう
大フィーバーからの借金、借金、借金、、、、病気、、、死。
問題作《フィガロの結婚》の上演
大フィーバーのモーツアルト
モーツアルトはオペラ《フィガロの結婚》の作曲を始める
ただ《フィガロの結婚》という作品、当時の問題作
フランスでは上演禁止になっている
なんで?
《フィガロの結婚》は召使いが貴族をこらしめるっていう作品だから
当時って、貴族とか王様が絶対的に偉くて、その下に召使いとか、一般人がいるっていう社会
貴族を倒す、こらしめるとか誰も考えもしなかったんよね
《フィガロの結婚》に影響されて、一般市民が貴族を倒して、自分たちが政治の中心を握ろうなんて考えられたらどうしよう
貴族、王様たちはこんな風に考えて、《フィガロの結婚》の上演を禁止したりする
モーツアルトは問題作《フィガロの結婚》の作曲をする
はじめはウィーンの王様も渋る、
「フィガロの結婚はちょっとダメだな、社会が乱れては困る、フランスでも上演禁止になっているし」
折れないモーツアルト
フィガロの結婚ってめっちゃ面白い曲なんですよ。はじまりの出だし、これは貴族のひそひそ声、そしてそして・・・
モーツアルトの《フィガロの結婚》への熱い気持ちに、ウィーンの王様は負ける
オペラ《フィガロの結婚》の上演が決まる
オペラ上演の前には、上演させまいとの妨害もあったが、無事に上演された
フィガロの結婚を聴いてみよう
ただ、ウィーンでは思ったより伸び悩む
召使いが貴族をこらしめる、ガッツリ貴族社会だったウィーンではウケが良くなかったのかもしんない
プラハでのモーツアルトフィーバー
ウィーンでは、ぼちぼちの人気だった《フィガロの結婚》
チェコのプラハで《フィガロの結婚》が大ヒットを飛ばす
プラハに招待された、モーツアルト
モーツアルト夫妻はプラハに入る、31才のころ
プラハの街を歩いてみよう
プラハの大フィーバーは聞いていたが、いろんなところから《フィガロの結婚》が聞こえてきた
弾くもの、吹くもの、歌、口笛までもフィガロだった
新聞でも超人気オペラ作家、モーツアルトのことが一面に書かれた
モーツアルトはプラハで交響曲第38番「プラハ」を上演、
大喝采、鳴りやまない拍手
プラハの人は音楽がわかる(^_-)-☆
交響曲第38番「プラハ」を聴いてみよう
なんでウィーンじゃなくて、プラハで《フィガロの結婚》がウケたの?
プラハって、どちらかというと支配する側じゃなくて、支配される側だったから
プラハの人って、王様とか貴族、あんまり好きじゃなかった、権力を振るわれる方だったから
《フィガロの結婚》って貴族をこらしめるオペラ
嫌いな貴族をやっつけるっていう話に、共感したんだと思う
逆に支配する側のウィーン。自分たちがやっつけられてるみたいで、《フィガロの結婚》はあんまりウケなかったんだろうね、ウィーンでは
父の死とオペラ《ドンジョバンニ》
モーツアルトが次に取り掛かった曲がオペラ《ドンジョバンニ》
うれしいオペラ作曲の仕事だった
ただ、一つ気がかりなことがモーツアルトにはあった
お父さんが病気で倒れた
モーツアルトはお父さんにこんな手紙を送っている
「死は(厳密に言えば)ぼくらの人生の真の最終目標ですから、ぼくはこの数年来、この人間の最上の友とすっかり慣れ親しんでしましました。
その結果、死の姿はいつのまにか僕には少しも恐ろしくなくなったばかりか、大いに心を安め、心を慰めてくれるものとなりました!
そして、死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機械を与えてくれたこと(ぼくの言う意味はお分かりですね)神に感謝しています。
ーぼくは(まだ若いとはいえ)ひょっとしたらあすもうこの世にはいないかもしれないと考えずに床につくことはありません」。
作曲家 人と作品シリーズ モーツアルト 西川尚生 著
モーツアルトの時代、
死は身近なものだった
そして、モーツアルト自身にとっても、死は身近なものだった
1787年、モーツアルトの父はこの世を去る。
モーツアルト31才。
父の死を悲しんでいる時間はモーツアルトになかった
オペラ《ドンジョバンニ》を仕上げなくてはいけない
でも、ふとした時に父との思い出が頭に浮かぶ
どれだけ父親に心配をかけたか、どれだけ父親を悲しませたか、どれだけ苛立たせたか・・・
そんな気持ちは、オペラ《ドンジョバンニ》にも反映されている
オペラ《ドンジョバンニ》の主人公、ドン・ジョバンニと自分自身を重ね、
《ドンジョバンニ》で出てくる、肉体は死に、魂が乗り移った騎士の石像を父に重ねる。
ちゃらんぽらんなドン・ジョバンニに、石像の騎士は言う
「悔い改めよ」と、
「悔いたりするもんか」と抵抗するドン・ジョバンニ
その様子が、ちゃらんぽらんなモーツアルト自身が、
父親からの忠告も無視して、就活も上手くいかず、母を大事にせず、母を死なせてしまった自分、父の反対を押し切って結婚した自分に重なる。
モーツアルト自身と、亡き父親を重ねた《ドン・ジョバンニ》が初演される
ドン・ドンジョバンニを聴いてみよう
借金地獄とモーツアルト
オペラ《ドン・ジョバンニ》でぼちぼちの収入を得たモーツアルト
ここから一気に借金地獄となる
理由は戦争
ロシアとトルコとの戦争にウィーンが参戦
音楽どころではなくなる。
モーツアルト主催のコンサートを開いても客はこない
生活のための金を借りるしかない
増えるのは借金だけ。
こんな借金地獄の中で名曲が生まれている
モーツアルトの3大交響曲、39番、40番、41番「ジュピター」
モーツアルトの最高傑作と言ってもいい
ただ、モーツアルトの時代に演奏されることはなかった
モーツアルトが演奏会を開こうとしても、人は集まらなかった
モーツアルト自身が聴くことのなかった、3大交響曲を聴いてみよう
交響曲第39番↓
交響曲第40番↓
交響曲第41番「ジュピター」↓
モーツアルトの交響曲40番「ジュピター」は4楽章の美しいフーガ(カエルの歌みたいに追いかけっこ)から流れるようにしてる。ほんとに美しい、ジュピターだけでも聞いてみてください
オペラ《コシ・ファン・トゥッテ》の作曲
3大交響曲を作曲したモーツアルト
演奏されることはなかったんだけど、音楽家としては熟しまくっている
次に作曲したのがオペラ《コシ・ファン・トゥッテ》
《コシ・ファン・トゥッテ》ってどんなオペラなの?
《コシ・ファン・トゥッテ》は、男女の永遠の愛はないっていうのが言いたいオペラ
どんなに愛し合っても、みんなこういうこと(浮気)をするよねーっていうブラックユーモアなオペラ
オペラ《コシ・ファン・トゥッテ》を聴いてみよう
《コシ・ファン・トゥッテ》がたくさん上演されれば借金も返せる・・
そう思ってたかもしれないが、オペラ《コシ・ファン・トゥッテ》の上演はすぐに打ち切り
ウィーンの王様がなくなったから
ウィーンの街は喪に服して、演奏会を開くどころではなくなる。
オペラ《魔笛》と咳が止まらない
オペラ《コシ・ファン・トゥッテ》が不発に終わったモーツアルト
お金がない、金を稼がないと。
次はオペラ《魔笛》の作曲に取り掛かる
寝る時間もまともない、モーツアルトは作曲に明け暮れる
働きすぎのせいか、モーツアルトの体調に異変がおきる
咳がとまらない
なんか咳が止まらないし、だるいな・・・
オペラ《魔笛》が完成
そしてウィーンで初演
オペラ《魔笛》は大成功、ブラボー、拍手喝さい
でも、モーツアルトの体はボロボロ、死はすぐそばまで近づいていた
モーツアルト35才。
オペラ《魔笛》を聴いてみよう
《レクイエム》の作曲、そして死
オペラ《魔笛》と同時進行で、実は《レクイエム》っていう作曲もしてた
ある日、モーツアルトの家に黒づくめの人が来る
マントで顔もわからない
モールアルトに《レクイエム》の作曲を依頼する
《レクイエム》は死んだ人の魂を静めるための曲
モーツアルトは断ろうとする、もうボロボロ、限界だったから。
でも黒づくめの男は高額な報酬を出すという
お金が欲しい、妻、子供のために、モーツアルトは《レクイエム》の作曲を引き受ける
《レクイエム》の作曲をすると、モーツアルトの体は重くなり、《レクイエム》が完成に近づくにつれて、自分の死が近づくような気すらした
頭痛、手のむくみ、止まらない咳、モーツアルトの時間はもう多くない
思い通りに動かない体
でも、作曲しなくては、お金を作らなくては
モーツアルトの病状は悪化する
《レクイエム》を完成させることはできなかった
モーツアルトの体は冷たく、もう二度と動くことはなかった
1791年、モーツアルトはこの世を去った
モーツアルトの屍の扱いはあまりにも雑だった
布にくるまれ、多くの屍ととも埋葬された
大きな穴に多くの屍、そのうえにモーツアルトの屍が投げ込まれる、終わり。
天才作曲家の死は、そんな感じだった。
モーツアルト最後の曲、《レクイエム》を聴いてみよう
モーツァルトの年表、簡単に。
モーツアルトの年表を簡単にお話しますね
詳しく知りたいところは、クリックしてみてね。詳細ページに飛ぶよー
- 1756年(0才) ヴァイオリニストの息子として、オーストリアのザルツブルグに生まれる、オギャー。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、そしてモーツアルトの4人家族。
- 1759年(3才) 教えてもないのに、3才でクラヴィア(ピアノの先祖)和音を弾き始める。先にクラヴィアを弾いていた、お姉ちゃんを見てたからかもしんない。
- 1760年(4才) クラヴィア(ピアノの先祖)をはじめる、すぐに弾けるようになる
- 1761年(5才) 作曲をする、バケモノ級の天才。モーツアルトのお父さん、モーツアルトの天才的な才能を田舎町(ザルツブルグ)から出さないのは、神様に失礼だと考え、演奏旅行を計画する。⇒3才~5才のモーツアルトについて、もっと知りたいときはこちら
- 1762年(6才) はじめての演奏旅行、ミュンヘンへ。大喝采。音楽のウィーンにも行く、女王にキスしまくる
- 1763年(7才) 3年半にも渡る、大演奏旅行に出発。ミュンヘン、アウグスブルグ、フランクフルト、ケルン、ブリュッセルを通ってパリへ。
- 1764年(8才) 海を渡り、イギリスロンドンへ。演奏会を開いて、ガッツリ金儲け。バッハの息子に会う。交響曲の作曲技法を学ぶ。⇒大演奏旅行についてもっと知りたいっていうときはこちら
- 1766年(10才) 故郷ザルツブルグに戻る。旅が長引いた原因の一つが病気。一緒に演奏旅行をしていた姉ちゃんが死にかける。
- 1768年(12才) モーツアルト、ウィーンでオペラの作曲依頼を受ける。初めてのオペラを作曲。モーツアルトの時代、オペラ作曲家が花形職業、モーツアルトは喜んで引き受ける。が、妨害行為に会って、ウィーンで上演できず。
- 1769年(13才) 当時の音楽先進国、イタリアへ行く。
- 1770年(14才) イタリアでオペラを初演。妨害行為に負けず、嫌がらせにも負けず上演にこぎつける。鳴りやまない拍手。
- 1773年(17才) 故郷ザルツブルグに戻る。音楽先進国、イタリアでオペラも書いたのに、なんでこんなクソ田舎街(故郷ザルツブルグ)にいないといけないのか、そう悩んでいた時期。20才までモヤモヤ期間。ヴァイオリン協奏曲を作曲。
- 1777年(21才) 母とともに就活へ。でも全然上手くいかない。お父さんの故郷で、従妹にあう。おなら、ウ〇チを二人で連発して、笑いこける
- 1778年(22才) モーツアルト、初めての恋。相手は美しい声を持った女性。その人と結婚しようと、就活をボイコットしそうになる。お父さんから、そんなアホなこと言ってんじゃねえ、ちゃんと就活しろっていう手紙が届く。就活のために立ち寄ったパリでお母さんが亡くなる。モーツアルト号泣。
- 1779年(23才) 故郷、ザルツブルグに戻る。結局、就活は不発。父のコネで、ザルツブルグのオルガニストとして働く。ただ、モーツアルトと上司の馬が合わない。
- 1781年(25才) 上司と激突、こんなクソの下で働きたくねえんだよ、とザルツブルグから飛び出す。ウィーンでフリーランスとして独立。
- 1783年(27才) ウィーンでオペラを作曲。大成功。初恋の女性の妹と結婚。
- 1785年(29才) モーツアルトの様子を見に、お父さんがウィーンに。モーツアルトの住んでいる家が大豪邸で、倹約家のお父さんはビビる。でも、モーツアルト主催のコンサートに行くと、人、人、人。とりあえず、稼いでそうで安心する。
- 1786年(30才) 貴族を(遠回しに)馬鹿にした問題作、オペラ《フィガロの結婚》が初演。家計が傾き始める。
- 1787年(31才) オペラ《ドン・ジョバンニ》初演。お父さんの訃報が入る。
- 1788年(32才) 一気に借金地獄へ。理由は戦争。音楽どころではなくなる。モーツアルト主催の演奏会に人が入らなくなる。3大交響曲、39番、40番、41番《ジュピター》を作曲するも、人が来なくて演奏会開かれず、
- 1790年(34才) オペラ《コシ・ファン・トゥッテ》初演。ウィーンの王様が亡くなり、ウィーン中が演奏会モードじゃなくなる。《コシ・ファン・トゥッテ》の演奏回数が伸びない。
- 1791年(35才) オペラ《魔笛》初演。ウィーンでじわじわと人気が出る。体調が悪くなる、咳が止まらない。黒づくめの男から《レクイエム》の作曲依頼。睡眠時間を削って作曲。《レクイエム》は完成しなかった。モーツアルト35才でこの世を去る。モーツアルトの屍は、多くの一般人の屍の入っている大きな穴に、無造作に投げ込まれる。ドサッ、鈍い音。墓石も目印もなかった。
神童としてヨーロッパを回ったモーツアルトだけど、晩年は借金に苦しめられ、短すぎる生涯を閉じる。
モーツアルトのことがもっとわかる映画【アマデウス】
モーツアルトのことがもっと知りたい
そんなときにおススメな映画【アマデウス】
モーツアルトが、とっても良く描かれてる
モーツアルトがヒヒヒヒーって高笑いしていたかは、わかんないんだけど、
モーツアルトの子供っぽさ、父への恐怖、そしてどんな風にやつれ、死んでいったのか。
まさに僕のモーツアルト像。
モーツアルトともっと仲良くなりたいっていうときは、おススメ
モーツアルトのことが身近になる本
モーツアルトの性格とか、どんな空気を吸っていたのか、そんな本を紹介します
『音楽家の伝記 はじめに読む1冊 モーツアルト 萩谷由喜子 著』
『音楽家の伝記 はじめに読む1冊 モーツアルト』っていう本、モーツアルトの性格とか、人間性をよく表してる本
よくある作曲家の本って、歴史の教科書みたいで面白くないじゃないですか(笑)
でも、この本って物語になってて、モーツアルトの性格、人間性、モーツアルトを取り巻く人たちのキャラクターが良くわかる
モーツアルトのことが知りたいっていうときは、まず『音楽家の伝記 はじめに読む1冊 モーツアルト』を読んでみて欲しい
『モーツアルト 田辺秀樹 著』
もう一冊だけ。
田辺秀樹さん著書の『モーツアルト』
『モーツアルト』っていう本の良いところって、ズバリ写真が載ってるとこなんよね
そしてカラー写真
モーツアルト本人を書いた絵、モーツアルトが暮らした街、楽譜、手紙・・・
カラー写真でみるとイメージ、すんごい膨らむ
モーツアルトっていう人物に近づける一冊。
めっしーのヴァイオリン教室【大人から始めた初心者限定のヴァイオリン教室】
この記事の著者、めっしーのヴァイオリン教室の特徴
- 大人からヴァイオリンを始めた、初心者限定のヴァイオリン教室
- 18才からヴァイオリン始めた、ぼくめっしーがレッスン
- アマチュアオーケストラでトップ弾いたり、室内楽弾いたり、今はレッスンで超難曲のパガニーニのカプリースさらってる
- 大人から始めたんだけど、プロを輩出する門下で学ぶ
- プロを輩出する教室で学んだことをベースにレッスン
- あなたと同じくヴァイオリンを始めたからこそ、伝えられることがある
- 大人から始めた難しさ、苦労、とってもわかるし、ちょっと先を行ってるからこそ、どうやって壁を乗り越えていったかお話できる
- しっかりあなたと向き合って、話して、レッスンしたいと思ってます
- 朝レッスン 6:00~(おそらくここの教室だけ)
- 学生割引あり
大人からヴァイオリンを始めたんだけど、なんか上手くならない
そんなときに力になれないかな、と思ってる
あなたと同じく、大人からヴァイオリンを始めたからこそ、共感できるし、解決できる部分、いっぱいある
無料ヴァイオリン相談【どんな簡単な質問でもOKです】
無料ヴァイオリン相談を受け付けてます
下のLINEかお問合せ、twitterにメッセージいただければ、基本的になんでもお答えいたします
ヴァイオリンについて悩んでること、どーでもいいこと、簡単なこと、レッスンやってるみたけど実際どうなん?とか、なんでもOK
できる限り、丁寧にお返事させていただきます
緊張・アガリに悩むヴァイオリン弾きのためのヨガ教室
あんなに練習したのに。
本番になると、まったく何もできない
震える右手、外れる音程
1つの解決方法がヨガ。
ヨガは、心をコントロールする練習だから。
ぼくも緊張・アガリで悩んで試行錯誤してきた。
その中でヨガに出会った。