ヴァイオリニストを目指す誰もが通る道、『24のカプリース』を作曲したパガニーニとはどんな人だったのか?
悪魔と呼ばれ、ヨーロッパ中を熱狂させたパガニーニ
その裏で、病気と孤独に苦しめられたパガニーニの一生を名曲とともに追う
『パガニーニカプリースを弾いているけど、パガニーニってどんな人だったんだろう?』
『パガニーニは悪魔なんて言われるけど、いったいどんな人生を送ったんだろう?』
こんにちは、超絶緊張しいヴァイオリニストのめっしーです
ヴァイオリンを弾いていれば、必ずと言っていいほどパガニーニという名前を聞くと思います
ヴァイオリンのレッスンに通っていれば、パガニーニの24のカプリースや協奏曲を弾く機会は多いですよね
でも、パガニーニってどんな人か知っていますか?
パガニーニのイメージって意外と”ぼんやり”していると思います
パガニー二ってどんな人だったの?
この記事では、パガニーニがどんな人生を送ってきたのか?
パガニーニの成功だけではなく、その裏でパガニーニが苦しめられた病気、孤独についても知ることができます
そして、パガニーニの人生を知ることで、パガニーニの曲を演奏するときのヒントが得られる
ヴァイオリンを弾いているとパガニーニという言葉をきく
パガニーニはヨーロッパ中を熱狂させたヴァイオリニスト
人生をたどっていくと
彼の曲がなぜこんなにも楽に、自然に弾けるように作曲されているのかがわかる
病弱、なのに多くの演奏会を消化しようと思ったら、不自然な奏法は負担が多すぎる
— めっしー@あがり症のヴァイオリニスト (@messi_agarisyo) September 7, 2021
それじゃあ、パガニーニの人生について話していこう
*可能な限り事実をお伝えしようと思っておりますが、文献によって年代が異なる場合があります
*今回の年代については最新の文献に統一しています
パガニーニの年表
パガニーニの人生を、年表とともに見てみよう
- 1782年の10月27日、イタリアのジェノバに生まれる
- 7歳(1789年)でヴァイオリンを始める
- 11歳(1793年)パガニーニ始めての本格的な演奏会
- 13歳(1795年)当時の大ヴァイオリニストであった、ロッカの元で勉強
- 18歳(1800年)生涯とともにするヴァイオリン”カノン(Cannon)”と出会う
- 18歳(1800年)から『24のカプリース』の作曲を始める
- 23歳(1805年)宮廷のヴァイオリン奏者に就任
- 31歳(1813年)からイタリアを中心に本格的なソロ演奏活動をスタート
- 38歳(1820年)で『24のカプリース』を出版
- 43歳(1825年)のとき、息子のアキーレが生まれる
- 46歳(1828年)からヨーロッパツアーをスタート、ヨーロッパに旋風を起こす
- 52歳(1834年)で故郷のイタリアに戻る
- 57歳(1840年)パガニーニの人生の幕が閉じる
10歳より前【神童パガニーニ】
幼少期のパガニーニについて見て行こう
パガニーニ生まれる
1782年10月27日、パガニーニは北イタリアの港町、ジェノバに生まれました
ジュエノバってどんなところから知りたいならこの動画もチェック▽
パガニーニの生まれた家は古びていて、七階の一隅を占める三部屋の住宅
パガニーニ家の家族構成は父アントニオ、母テレーザと息子二人に娘二人の6人家族でした(息子二人のうち一人がパガニーニ)
パガニー二の両親ともアマチュア音楽家でした
パガニーニの父アントニオは、なかなかのマンドリン弾き
そして、 パガニーニの父アントニオはマンドリンだけではなく、ヴァイオリンも弾いていました
マンドリンはこんな楽器です▽
母テレーザも美しい歌手としての才能に恵まれていました
ただ、音楽以外ではパガニーニの父はいわゆるダメ親父(おやじ)で、酒とギャンブルに明け暮れる始末
このダメ親父(おやじ)の金欲しさによって、パガニーニの音楽的才能が開花していきます
パガニーニが生まれた時代
当時のパガニーニの生まれ故郷ジェノバは、伝染病が流行していて、政治的にも不安定で生きにくい時代でした
パガニーニが7歳(1789年)にはフランス革命が勃発(ぼっぱつ)
ナポレオンという人がヨーロッパを戦場にして、もうぐっちゃぐちゃでした
パガニーニが小さいときは、ヨーロッパがぐちゃぐちゃで激動の真っただ中だったんだね
病気と生きるパガニーニ
パガニーニの生涯をたどっていくと、必ずと言っていいほど病気の話がでてくる
パガニーニは小さいときから、この世を去るまで病気に苦しめられました
パガニーニって病弱だったんだね
パガニーニ幼少期に重度の麻疹(はしか)にかかる
麻疹(はしか)は38℃の高熱、せき、鼻水、下痢そして体に発疹(ぼつぼつ)がでます
麻疹(はしか)は今でこそ、ワクチンがあったりして命を落とす病気ではないです
ただ、パガニーニの生きた時代では、治療法が確立されておらず、多くの人が命を落としました
そんな麻疹にかかったパガニーニも死にかけ、一度は死んだと勘違いされたほど
パガニーニはこの麻疹(はしか)に始まり、人生の幕を閉じるまで病魔と闘うことになります
パガニーニと病魔は、切ってもきれない関係だったみたいだね
パガニーニとマンドリン
パガニーニが5歳半のとき、マンドリンの演奏が上手かった父が、パガニーニにマンドリンを与えました
パガニーニ本人が言うには、『数カ月でどんな曲も初見で弾けるようになった、8歳になる前に父の指導の下で作曲もしていた』らしい
パガニーニは5歳半でマンドリンをはじめて、8歳まででマンドリンをマスターした
すでにこんな小さなときから、天才の片鱗が見え隠れしていたんだね
ヴァイオリンとの出会い
パガニーニが7歳の時、ヴァイオリンを始めました
パガニーニは、父から地獄のような特訓を受けました
朝から晩までヴァイオリン漬け、パガニーニの父アントニオはちょっとした間違いでも怒鳴りつける
ヒドイときには、食事をパガニーニに与えないこともあった
「私は朝から晩までヴァイオリンを手にしていた。
あれ以上厳格な父親など考えられもしなかった。
私の勤勉さに不足があると思えば、父は私がもっと頑張るようにと食事を許さなかった。
おかげで体のしんどさに堪えねばならず、健康も損なわれ始めたのである」
音楽の神童たち上 クロード・ケネソン著・渡辺和訳
家庭内の虐待にしか見えない・・・(笑)
なんでパガニーニのお父さんは、パガニーニにこんな鬼特訓をさせたのか?
金欲しさ、です
ギャンブル大好きなパガニーニのお父さんは、パガニーニの才能があれば、大金持ちになれると確信
パガニーニを金蔓(かねづる)にするために、食事を与えないという虐待鬼特訓を行いました
パガニーニのお父さんは完全にサイコパス。。。(笑)
10代【デビューそして唯一の修行時代】
10代のパガニーニについて見てみよう
デビュー
パガニーニ11歳(1793年)のとき、パガニーニはジェノバの大劇場でデビューを果たしました
このパガニーニのデビュー演奏会は大成功、演奏を聴いたすべての人が、パガニーニの演奏に感動した
パガニーニは7歳でヴァイオリンを始めているから、わずか4年でデビューしたってこと!?
天才だよね
ぼくは14年もヴァイオリンを弾いているけど、1ミリもデビューの話は来ません(笑)
唯一の修行時代
パルマのことをもっと知りたい、っていうときはこちらもチェック▽
パガニーニは、どうやって超絶技巧を身に着けていったのでしょうか?
一番はパガニーニの天才的なセンス、そしてサイコパスな父親の鬼のような特訓の影響は大きい
ただ、パガニーニ13歳のときに教えを受けた、当時の大ヴァイオリニストのローラの影響も大きいです
『パガニーニのヴァイオリンの才能は金になる』そう確信したサイコパスなパガニーニの父親は、
さらにパガニーニのヴァイオリン技術高めるために、13歳の少年をパルマに送る
パガニーニはパルマで当時の大ヴァイオリニストのローラに半年間教わったこと、サイコパスな父親の特訓以外の超絶技巧派は独学で身に着けている
独学で超絶技巧を身に着けるってパガニーニは超天才だったんだね!
当時はヴァイオリンの技術が発達段階で、パガニーニ自身で新しい技術を見つけるしかなかったのかもね
生涯をともにする名器”カノン(Cannon)”との出会い
パガニーニ18歳のとき、生涯をともにするヴァイオリン”カノン(Cannon)”と出会うんだ
生涯をともにする楽器との出会い
パガニーニ18歳(1800年)のときに、生涯をともにするヴァイオリンと出会う
『カノン(Cannon)』と呼ばれるヴァイオリンです
カノンは当時の最高レベルのヴァイオリン製作技術をもっていた、ガルネリという人が1743年に作った楽器
パガニーニは楽器コレクターでもあり、ストラディバリウスなどの名器も持っていましたが、演奏に使用していたのはこの『カノン(Cannon)』という楽器でした
ギャンブルでヴァイオリンを失ったパガニーニ
この 『カノン(Cannon)』とパガニーニの出会いにはこんな話がある
パガニーニはその日にコンサートを予定していたにも関わらず、頭が狂ったようにギャンブルにのめり込み、金とヴァイオリンを失う
ギャンブルでヴァイオリンを失う!? !? !? !?
そんなアホなパガニーニを救ったのが、リブロンという商人
リブロンは楽器コレクターであり、名器 『カノン(Cannon)』 を持っていいました
このリブロンという商人は 『カノン(Cannon)』 をパガニーニに貸す
パガニーニはその日のコンサートを『カノン(Cannon)』 を使って演奏
パガニーニの演奏に感動した『カノン(Cannon)』 を貸した商人のリブロン は、 『カノン(Cannon)』 をパガニーニに譲ることを決意しました
超ラッキーだったんだね(笑)
にしても賭け事でヴァイオリンを失うなんて、パガニーニはどんなにぶっ飛んだひとだったんだろう?(笑)
20代【宮廷音楽家の時代そして24のカプリースの作曲】
20代のパガニーニについて話していこう
宮廷音楽家の時代
パガニーニ23歳(1805年)のとき、ヨーロッパを大混乱の渦にしたナポレオンの妹、エリザのもとで宮廷楽団のヴァイオリン奏者として就職します
このときの仕事内容は、週三回の演奏、二週間に1回行わるお金持ちを集めた演奏会、そしてオペラの指揮をすることでした
パガニーニは宮廷音楽家時代に、ファンの女性と恋に落ちます
ファンに手を付けちゃったわけね(笑)
恋に落ちたファンの女性のために、パガニーニはラブソングを書きました
このラブソングはG線とE線だけで弾かれる曲
G線がパガニニーニ、E線が恋に落ちたファンの女性を表しています
パガニーニはこのラブソングについて、こんなコメントをしている
弦が唸りをあげ、溜息をつく。よく回らない舌で話したり、ためらいをみせたり、冗談をいったり、楽しかったりと、さまざまな表情をつける。そして最後は、歓喜のなかでふたりは戯れあうのだ。
悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト 浦久俊彦著
宮廷楽団のヴァイオリン奏者として活躍していた時代に作曲された他の曲には、G線のみで弾く《ナポレオン・ソナタ》なんかがあります
この 《ナポレオン・ソナタ》 は『G線とE線だけで弾けるんなら、G線だけの曲もつくってよ』というナポレオンの妹からムチャぶりされてできた曲
《ナポレオン・ソナタ》 を聞いてみたい、そんなときはこちらをチェック▽
パガニーニが務めていた、ナポレオンの妹率(ひき)いる宮廷楽団はパガニーニが26歳(1808年)のとき、解散します
宮廷楽団の解散をきっかけにパガニーニはソロとして活動していく
24のカプリースの作曲
ヴァイオリニストを目指すなら誰もが通る道である24のカプリースは、パガニーニが18歳から28歳(1800年~1810年)にかけて作曲されました
このパガニーニが作曲した 《24のカプリース》 は様々な作曲家に影響を与えた
例えば、ロシアの作曲家であるラフマニノフは 《24のカプリース》 をもとにして、《パガニーニ主題による狂詩曲》を作曲した
《パガニーニ主題による狂詩曲》 が聞きたい、というときはこちら▽
《パガニーニ主題による狂詩曲》 のもとになった 《24のカプリース》 より第24番はこちら▽
ヴァイオリニストを目指すなら《24のカプリース》は必ず通る道だよね
《24のカプリース》はすごい自然に楽に弾かないと弾けない曲なんだよねー
力んだりすると全然弾けない、、 《24のカプリース》はヴァイオリンの弾きかたを教えてくれる曲だよ
30代【イタリアツアー】
30代のパガニーニついて話していくよー
イタリアでの演奏に明け暮れるパガニーニ
パガニーニは30歳ごろから本格的に金稼ぎ演奏家としてイタリア中を飛び回る
パガニーニ31歳(1813年)のミラノでのデビュー公演から始まって
- ミラノ
- パヴィア
- ジェノバ
- ヴェネツィア
- トリエステ
- トリノ
- ボローニャ
- フィレンツェ
- ローマ
- ナポリ・・
イタリアの多くの都市で演奏会を開きました
パガニーニはイタリア公演で『世界一のヴァイオリニスト』と称賛される
イタリアでの演奏で飛び回っていた30代のパガニーニは、自分探しの旅でもありました
イタリアでの演奏を始めた当初は、パガニーニ自身の曲以外の曲を演奏する機会が多かった
『他人の作曲した曲では、まったく自分を表現できない』そう感じたパガニーニは、イタリアを飛びまわっていた時期に、自作の《ヴァイオリン協奏曲》を作曲する
《ヴァイオリン協奏曲第1番》はパガニーニが35歳~36歳(1817年~1818年)に作曲された曲
パガニーニが作曲した《ヴァイオリン協奏曲第1番》を聞いてみたい、ならこちらをチェック▽
《ヴァイオリン協奏曲第2番》 はパガニーニが37歳ごろ(1819年~1826年ごろ、所説あります)に作曲されました
パガニーニが作曲した《ヴァイオリン協奏曲第2番》を聞いてみたい、ならこちらをチェック▽
イタリアでの経験を通じて、パガニーニは自分らしい演奏を身に着けていったんだね
24のカプリースの出版
パガニーニ38歳(1820年)の時にヴァイオリニストを目指す、誰もが弾く《24のカプリース》が出版されました
作曲は28歳の時に終わってたんだよね?
なんで10年後の38歳で《24のカプリース》は出版されたの?
パガニーニは自分のヴァイオリン技術が盗まれるの嫌で、楽譜の出版を渋っていたみたい
たった一人の弟子
パガニーニにはたった一人だけの弟子がいました
弟子の名前をシヴォリと言いました
パガニーニはいったいどんな先生だったのだろうか?
一言でいうと、パガニーニはクソみたいな先生だったらしい
すみません、言い過ぎました。。
でも、弟子シヴォリもパガニーニのことを最悪な教師だったと話しています
- 弟子が悪戦苦闘してヴァイオリンを弾いている姿を、薄ら笑いで見ている
- ちょっとでも間違えると『お前はそんな簡単な曲も弾けないのか』とバカにする
- 弟子が悪戦苦闘していた曲を弟子の無能さを示すために暗譜で完璧に弾く
レッスンで生徒が弾けないことを笑ってみてるなんてヒドイ・・(笑)
弟子が弾けなかったときは、『こんな簡単な曲も弾けないのか』と言ってバカにしていたみたいだね
本当に最悪な教師だったみたい(笑)
40代【ヨーロッパでの大フィーバー】
ヨーロッパに旋風を巻き起こした40代のパガニーニについて話していくよ
悪魔から生まれた天使
パガニーニ43歳(1825年)のとき、一人息子であるアキーレが生まれる
パガニーニは一人息子のアキーレを溺愛し、死に際までアキーレをそばにおきました
実際に息子アキーレの肖像画(しょうぞうが)を見たけど、超イケメン
もちろん、自分の子供だっていうのもあるけど、超イケメンで整った顔立ちもあって溺愛したのかもしれない
ちなみに息子アキーレの母親は金遣いが荒く、そして嫉妬深い性格でした
こんな性格に嫌気がさして、パガニーニは結婚せず、シングルファーザーとして息子アキーレを育て上げます
パガニーニの孤独を癒す唯一の存在が息子のアキーレ
悪魔と言われたパガニーニ
パガニーニはしばしば『悪魔』と呼ばれます
なんでパガニーニは悪魔なんていわれるんでしょうか?
悪魔と言われる一番は、パガニーニの見た目のせい、と言えます
40代のパガニーニは病気と、病気の治療でそれはもう、ボロボロでした
- 下の歯は治療ですべて抜かれてない
- 歯がなくて食べれないので、まともな食事ができない
- まともなモノが食べれないためガリガリ、ゲッソリ
- 病気の治療のため水銀(猛毒)を飲む
- 死期が近いような青い青白い顔、そして腕だけは長い
病気の治療によってパガニーニは廃人のようになっていました
歯がないとか、ゲッソリしてるとか悪魔というか、死神というか・・(笑)
パガニーニの曲が難しそうなわりに弾きやすい理由がここにあって、体がボロボロだからこそ自然に、楽に弾けるように作曲したんだよ
ヨーロッパ演奏旅行へ
パガニーニが45歳(1828年)、パガニーニはウィーンからヨーロッパ演奏ツアーを開始する
パガニーニは45歳までイタリアから出たことがなかったパガニーニとって、とても大きな決断でした
病弱だったパガニーニは、なかなヨーロッパツアーを決断できなかったみたい
パガニーニはヨーロッパを飛び回る
- ウィーン
- プラハ
- ドレスデン
- ベルリン
- ワルシャワ
- フランクフルト
- ライプツィヒ
- シュトゥットガルト
- ハンブルグ
- ロンドン
- パリ・・・
病気でボロボロのパガニーニだったが、悪魔のようなメンタルでヨーロッパ公演を次々と行っていった
ウィーン公演
パガニーニのウィーン公演は、それはもう大フィーバー
演奏会だけではなく、パガニー二グッズがウィーンの町中に溢れかえっていた
今でいう超超超大人気アイドルといったところ?
アイドルなんてもんじゃないね(笑)
もと国民的アイドルSMAPですら、町中にグッズが溢れかえることはないし(笑)
そんなウィーン公演で、大きな影響を受けた作曲家がいます
シューベルト、という作曲家です
シューベルトは歌劇王とばれたり、有名な未完成交響曲を作曲した人
シューベルトの作曲した未完成交響曲が聞きたい方はこちらをどうぞ▽
シューベルトはパガニーニの《ヴァイオリン協奏曲第二番》を聞いて、『天使の歌声を聞いた』と語ったという
シューベルトの効いたパガニーニ作曲《ヴァイオリン協奏曲第二番》を聞きたい方はこちら▽
パリ公演
パリ公演でパガニーニの人気は、最高潮となります
パガニーニは芸術の都パリの人々の心をもつかんで離さず、一文無しになってもパガニーニの演奏を聴いた方が良い、とまで言われました
パガニーニの演奏を聴くために、なんとかしてお金を作ろうした人も多かったみたい
このパリ公演でパガニーニに影響を受けた作曲家がいます
フランツ・リスト、です
リストはピアノの貴公子と言われ、19世紀(1801~1900年)に活躍したピアニスト、作曲家です
リストはパガニーニの演奏に感動して
『僕はピアノのパガニーニになる!』と叫んだと言われています
実際にリストは、パガニーニの曲をもとに《パガニーニによる大練習曲》を作曲しています
リストが作曲した《パガニーニによる大練習曲》 を聞いてみたいならこちら▽
《パガニーニによる大練習曲》 のもとになった、パガニーニ作曲24のカプリースから第9番を聞いてみたいならこちら▽
芸術の目の肥えたパリの人たちをも、パガニーニは虜(とりこ)にしたんだね
パリ公演を聞きにきていたピアニスト・作曲家のリストもパガニーニの演奏にとっても大きな影響をうけたんだ
ワルシャワ公演
ワルシャワ公演でも、パガニーニに大きな影響を受けた一人の青年がいました
ショパン、というピアニスト・作曲家です
ショパンは美しいピアノ曲をたくさん作曲した作曲家です
ショパンの作曲したピアノ曲を聞いてみたい、というときはこちら▽
当時のショパンは19歳
ワルシャワでのパガニーニの演奏会は11回行われたとされるが、ショパンはそのほとんどを聞きに行きました
パガニーニに影響を受けたショパンは、《パガニーニの思い出》というピアノ曲まで作曲している
ショパンが作曲した《パガニーニの思い出》が聞きたい、そんときはこちらをチェック▽
ショパンは美しい音楽の話になると、必ずパガニーニの話をしたみたい
ほんとにパガニーニの演奏に感動したんだね、
ロンドン公演
パガニーニ 49歳(1831年)、ヨーロッパ公演の最後の都市であるロンドンに到着しました
もともと病弱なパガニーニだったが、ヨーロッパツアーでさらにボロボロ
ロンドンに到着したはいいものの、ロンドン市民に初めは受け入れられなかった
ただ、ロンドン公演が始まると大盛況
ロンドンでもチケットが飛ぶように売れた
1年のロンドン公演で、パガニーニは80億円も巻き上げた
額が大きすぎて、まったくイメージできない(笑)
パガニーニが演奏したロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス▽
パガニーニは大喝采を浴び、過剰なほど称賛された。
帽子やハンカチを振るものも多かった。
オーケストラメンバーも驚嘆した。
モーリは、彼が売れないならバイオリンを燃やしてもいいと言い放った。
リンドレーはひどくどもりながら「あ、あ、あ、悪魔だ、あの人は!」と言った。
ニコロ・パガニーニの生涯 ストラットン著・スミエケン訳
ヨーロッパを襲ったパガニーニ旋風もロンドン公演を境(さかい)に小さくなっていく
パガニーニを『病魔』という悪魔が蝕(むしば)んでいった
逸話
パガニーニは多くの逸話を残しています
- あまりのヴァイオリンテクニックのため『悪魔に魂を売ったからに違いない』と言われた
- パガニーニの演奏に心を奪われるのは『悪魔の仕業ではないか』と囁(ささや)かれた
- パガニーニが悪魔とつながっていたという噂から、パガニーニの演奏会では十字架を切る人がいた(勇気や支えが必要なときに十字架を切ります、当時の人は悪魔と言われたパガニーニのことが怖かったんでしょう)
- パガニーニにちゃんと足がついているか、確認する客まで現れた
- パガニーニの演奏聞いた女性客の中には、興奮して失神する人もいた
- 自分の技術が盗まれることを嫌い、リハーサルはなし、演奏会が終わると楽譜をすぐに回収
- 足の裏に釘が刺さっても演奏継続
- E線、A線、D線が切れても、G線一本だけで演奏
パガニーニは超秘密主義で、リハーサルなしで演奏会を行うことも多かったみたい
リハーサルなしで本番を行うなんて、ぼくは怖くてできないけど・・(笑)
足の裏に釘が刺さっても演奏を続けるとか。。。
すごいメンタル・・(笑)
50代【人生の幕が閉じる】
50代のパガニーニについて話していこう
ついにパガニーニの一生が終わる
パガニーニの遺言
パガニーニが52歳(1834)のとき、再び故郷ジェノバに戻りました
故郷に戻ったが、パガニーニはもうボロボロ
病気で声もでない、そんな状況でした
パガニーニ55歳(1837年)のとき、自分の命がもう長くないこと感じたパガニーニは遺言状を書く
パガニーニの遺言状には『パガニーニ自身が愛用したバイオリン”カノン(Cannon)”をパガニーニの生まれ故郷である、ジェノバで保存するように』という内容が書いてある
*現在、パガニーニの遺言に背く形でバイオリン”カノン(Cannon)” はパガニーニ国際コンクールの優勝者など、一部の演奏家によって演奏されている
パガニーニの最後
1840年5月27日、天才ヴァイオリニストとして世界を騒がせ、悪魔と言われたパガニーニは57歳で息を引き取った
凄まじい痙攣(けいれん)とともにパガニーニは亡くなったという
パガニーニが本当に眠るまで
パガニーニの生涯は閉じたが、パガニーニの話はここで終わらない
墓が見つからない
こんな状況でした
パガニーニは悪魔と呼ばれていたことから、どの教会もパガニーニの亡骸(なきがら)を埋葬することを嫌がりました
パガニーニの亡骸は36年間もたらい回しにされた後、パルマの墓地に埋葬される
現在でも、パルマにパガニーニは眠る
天才ヴァイオリニストの一生は最後の最後まで何かあるね(笑)
まとめ
今回は《24のカプリース》を作曲したパガニーニがどんな人だったのか?どんな激動の人生だったのかについてお話しました
この記事の内容を振り返ってみよう
- 1782年、イタリアのジェノバに生まれる
- 麻疹(はしか)で死にかける、小さい頃から病弱
- 7歳でヴァイオリンを始める
- サイコパスな父親の鬼特訓により11歳でデビュー
- 18歳~28歳で《24のカプリース》を作曲
- 30代はイタリア中を演奏して回り、『世界一のヴァイオリニスト』と称賛される
- パガニーニ45歳からヨーロッパツアースタート、ヨーロッパを激震させる
- 52歳、故郷のジェノバに戻る
- 57歳、人生の幕が閉じる
パガニーニの人生を見ていくと、常に病魔と闘っていたことがわかります
パガニーニの《24のカプリース》は超難曲と言われるが、チカラを抜けば抜くほど、楽に楽にと考えると意外に弾きやすかったりする
パガニーニは体が弱かっから、体に無理のかかる奏法では多くのコンサートを消化できなかったんじゃないかな?
パガニーニの《24のカプリース》を弾くときに悪魔のように、死神のようなパガニーニを想像するともっと楽に《24のカプリース》を弾けると思います
参考文献;
1)悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト 浦久俊彦著
2)天才バイオリニストニコロ・パガニーニの生涯 ストラットン著・スミエイケン訳
3)音楽の神童たち上 クロード・ケネソン著・渡辺和訳
4)クラシック音楽ガイド 後藤真理子監修
5)20世紀の名ヴァイオリニスト ヨーアヒム・ハルトナック著・松本道介訳
6)MIDORI・PAGANINI 24CAPRICES ヴァイオリン:五嶋みどり
めっしーのヴァイオリン教室【大人から始めた初心者限定のヴァイオリン教室】
この記事の著者、めっしーのヴァイオリン教室の特徴
- 大人からヴァイオリンを始めた、初心者限定のヴァイオリン教室
- 18才からヴァイオリン始めた、ぼくめっしーがレッスン
- アマチュアオーケストラでトップ弾いたり、室内楽弾いたり、今はレッスンで超難曲のパガニーニのカプリースさらってる
- 大人から始めたんだけど、プロを輩出する門下で学ぶ
- プロを輩出する教室で学んだことをベースにレッスン
- あなたと同じくヴァイオリンを始めたからこそ、伝えられることがある
- 大人から始めた難しさ、苦労、とってもわかるし、ちょっと先を行ってるからこそ、どうやって壁を乗り越えていったかお話できる
- しっかりあなたと向き合って、話して、レッスンしたいと思ってます
- 朝レッスン 6:00~(おそらくここの教室だけ)
- 学生割引あり
大人からヴァイオリンを始めたんだけど、なんか上手くならない
そんなときに力になれないかな、と思ってる
あなたと同じく、大人からヴァイオリンを始めたからこそ、共感できるし、解決できる部分、いっぱいある
無料ヴァイオリン相談【どんな簡単な質問でもOKです】
無料ヴァイオリン相談を受け付けてます
下のLINEかお問合せ、twitterにメッセージいただければ、基本的になんでもお答えいたします
ヴァイオリンについて悩んでること、どーでもいいこと、簡単なこと、レッスンやってるみたけど実際どうなん?とか、なんでもOK
できる限り、丁寧にお返事させていただきます
緊張・アガリに悩むヴァイオリン弾きのためのヨガ教室
あんなに練習したのに。
本番になると、まったく何もできない
震える右手、外れる音程
1つの解決方法がヨガ。
ヨガは、心をコントロールする練習だから。
ぼくも緊張・アガリで悩んで試行錯誤してきた。
その中でヨガに出会った。